第164話、女刑事(その2)

 

2003年6月、国家公務員上級職、いわゆるキャリア組の新人女刑事、古賀美奈子(23歳)は、八光署での研修を続けていた。美奈子のプライドを完全に打ち砕いたミスターニート事件から1カ月が経過し、ようやく美奈子も精神的ショックから立ち直りつつあった。

「お早うございます、古賀警部」

上司である小野課長が、出勤してきた美奈子に、慇懃に挨拶をした。

「お早うございます、課長」

美奈子は、目を合わさずに抑揚のない声で答える。犯人に脅迫されていたとは言え、公衆の面前で、あらん限りの痴態を晒した美奈子は、それ以来、署内で蔭口を叩かれたり、ジロジロ見られること事が多くなっている。課長も、表情にこそ出さないが、内心では美奈子のことを嘲笑っているに違いない。

「先日の通り魔事件の報告書が出来上がりました」

美奈子は、封筒に入った書類を課長に手渡した。女性らしい達筆な字で書かれており、誤字脱字は、一字もない。書類一枚からも、美奈子がいかに優秀なエリートであるかが伺える。

「犯人は、派遣社員の20代の男性です。最近、こういった事件が、頻発していますわ。格差社会って言うんでしょうか。それに、高齢者による家族の殺害や、自殺、孤独死も増えています」

「さすがは、キャリア。社会問題にも、お詳しいですな。私なんかは、せいぜい自分の課の検挙率ぐらいにしか、頭が回りません」

美奈子と小野課長が、会話をしていると、外線電話が鳴った。モグさんが受話機を取る。

「はい、八光署刑事課です。えっ?古賀刑事ですか。え・・・ええ、変わります」

モグさんが、引きつった顔で、指先をクルクルと回し逆探知の合図をした。

「ボイスチェンジャーの声です。キャリアを指名しています。」

刑事部屋に緊張が走った。嫌な予感を感じつつ美奈子が、受話機を受け取ると、聞き覚えのある口調が話しかけてきた。

「久し振りですね、エリート刑事さん」

「ミスターニート!」

美奈子は金切り声をあげた。一か月前の屈辱的な記憶が脳裏に蘇ってきて眩暈がした。

「そろそろ、セーブしたゲームを再開しようかと思ってね。データロードです。また爆弾を仕掛けましたよ。あと5分で爆発します」

ガチャリと電話が切れた。

「課長!」

「この時間じゃ、逆探知は無理だな。管内の全パトカー、警察官に緊急連絡。警戒態勢を取らせろ。念のため本庁にも連絡を入れよう。5分後にどこかで爆弾が爆発する!」

それが警察に出来る精一杯の処置だった。場所が特定出来ない以上、対策の立てようがない。また前回の事件から、ミスターニートの脅迫が、単なるハッタリでない事も判っている。やがて5分が過ぎ、10分が過ぎたが、管内で爆発が起きたという連絡は,一向に入らなかった。

「おかしいな。不発弾だったのかな・・・」

モグさんが、もぐもぐと不明瞭な声で呟く。そして20分ぐらいした頃、ようやく電話が鳴った。

「課長、本庁からです」

小野課長が受話機を取り、話を聞く。

「えっ、爆発が起こったのは、うちの管内じゃない・・・・東京都江戸川区・・・タイガースマンション502号室」

その住所を聞いて、美奈子は驚愕した。

「課長!それ、あたしの家ですっ!」

やはりミスターニートは、美奈子を執拗にストーキングしていたのだった。

 

 美奈子が、大慌てで自宅のマンションに戻ると、そこにはすでに、所轄の警官や鑑識、本庁の捜査員までが来て、現場検証を行っていた。爆発による火災は消されていたものの、美奈子が大事にしていた、お気に入りの家具や家電製品は、見事に吹き飛ばされ粉々になっていた。

「爆弾は、明らかに素人が作ったものです。ホームセンターで売っている肥料や薬品を混ぜて制作しています。それで、この破壊力とは、恐れ入ります」

鑑識が妙に感心しながら、美奈子に言った。

「冗談じゃないわ!あたしに、何の恨みがあるって言うの!」

美奈子は一人暮らしなので、家族は一緒に住んでいない。しかし近隣の部屋の住民が爆発に巻き込まれて数人が負傷し、病院に運ばれたらしい。一緒に来たモグさんが、焼けただれたタンスの引き出しを開け、消防車の放水で、ずぶ濡れになっている美奈子のパンティを引っ張り出して眺めていた。

「ちょっと、モグさん!ドサクサに紛れて、何やってんですか!」

美奈子が、半狂乱になって叫んだ。その時、近隣の住民らしい小学校低学年くらいの男の子が、近寄って来た。

「あの、これ、お姉ちゃんに渡してって・・・」

男の子は、プリペイドカード式の携帯電話を握りしめていた。美奈子の顔から、さっと血の気が引いていく。前回と同じ手口だ。プルルルルと、その携帯電話が鳴った。

「貸して」

美奈子は、携帯電話をひったくると耳に押し当てた。

「あんた、こんな事して、ただじゃ置かないわよ!」

「まだ、ゲームは始ったばかりです。前回の続きですから、まず、ズボンとパンティを脱いでください。あの時と同じ格好で再開しなくてはいけませんから」

「畜生!」

美奈子は、顔に似合わない悪態をつくと、ズボンとパンティを下ろした。周りの警察官達が、ぎょっとしているが、気にしている場合ではない。

「近頃世間では、僕みたいな人間の事を、ニートだの、ワーキングプアだのって馬鹿にしています。でも、僕も、何も好き好んで年収200万円以下で、生活しているわけではありません」

「どうせ、年金も払ってないんでしょ!」

「その通りです。こんな収入で、どうやって払えって言うんですか。物理的に無理ってもんです。それなのに、この国の官僚や政治家は、税率や年金の負担額を上げるばかりで、何も手を打とうとしない」

「あたしに関係ないじゃない!」

「関係ありますよ。あなたも、キャリア組でしょ。本来、優秀なはずの、あなた達がサボっているから、どんどん世の中が悪くなって、まともな人生を送れない犠牲者が増えていく。僕が、年金を払えないのも、あなた達の単なる職務怠慢のせいですよ」

「逆恨みだわ」

「とにかくゲーム開始です。そのまま、白バイに乗って八光町までツーリングしてください。制限時間は、一時間。ゴールは八光駅のターミナル広場です。もし、間に合わなければ、日本のどこかで二発目の爆弾が炸裂します」

ガチャリと電話が切れた。

「すぐに白バイ用意して。犯人の要求よ、早く!」

美奈子は叫ぶなり、現場を離れ、マンションの階段を駆け下りていった。一秒でも、遅れれば、無関係の人間が死ぬことになる。

「キーです」

白バイ隊員から、キーを受け取ると美奈子はヘルメットをかぶり、下半身丸出しのまま座席に跨った。原付の免許しか持っておらず、無免許運転になるが、そんな事を言っている場合ではない。

「大丈夫ですか?」

「ええ」

心配そうに見守る白バイ隊員に見守られながら、美奈子は、エンジンをかけ、あまりのハンドルの重さと、バイクの重量感にたじろぎながら、アクセルを回した。

「キャッ!」

バランスを保つだけで精一杯だった。振り落とされないように、必死に裸の下半身でバイクを締め付ける。ここから、八光町までは、県境を越え、約70キロの道のりだった。

 

 美奈子が跨った白バイは、ホンダVFR750P、俗にナナハンと呼ばれる大型バイクである。普通なら大型二輪の免許を持っていない人間が、いきなり操れる代物ではない。女性ならなおさらだ。

「お、重い・・・」

車体ごと倒れそうになるのを美奈子は、何とかこらえる。一度倒れれば、女の力で持ち上げるのは不可能だろう。

「高速道路に、乗らなきゃ間に合わないわ」

抜群の運動神経と、気力で、美奈子はどうにか白バイを前方に走らせ続けた。この状態で、高速道路を走るのは自殺行為だと思ったが、警察官の責任を果たすためにはやるしかない。裸の下半身が、風に吹かれてスースーし、美奈子の人間としての誇りや自信を奪っていった。

「よう、姉ちゃん、そんな格好で何やってんだい?」

気が付くと周りを暴走族に囲まれていた。美奈子は無視する。

「ケツが丸見えだぜ。欲求不満なら相手してやろうか」

「あれ、ひょっとして白バイじゃないですか?」

「おいっ、無視すんなよ!止まれって言ってんだよ!」

暴走族のバイクが、美奈子の白バイの前に回り込んだ。美奈子の運転技術では、避け切れずに横転する。

「キャーッ」

美奈子はアスファルトの地面に叩きつけられ、裸の下半身をすりむいた。

「こいつ、変態女だ。かまわねえ、姦っちまおうぜ」

打僕と擦傷に悶え苦しんでいる美奈子に、暴走族が群がった。下半身を撫で回され上半身の服も引き千切られそうになる。

「や、やめなさい!あたしは、警察官よっ!」

美奈子は必死に抵抗し、上着の下のガンベルトから拳銃を抜いた。

「離れなさい。さもないと撃つわよ。あなた達に構っているヒマはないの」

「うるせえ!」

暴走族の一人が美奈子の拳銃を構えている手首を蹴り上げ、腕をアスファルトに押し付けて踏みにじった。

「変態女の癖に、物騒なモン振り回すんじゃねえ」

美奈子の腹に強烈なパンチが、叩き込まれる。

「むぐううう・・・あ、あなた達、公務執行妨害で全員逮捕するわ」

美奈子は、必死で暴れ、自分の体に群がっている暴走族の手を振り払うと、立ち上がって空手の構えを取った。

「そんな、恥ずかしい格好している癖に、一人前にやり合おうってのかよ」

「キエー!」

美奈子は、雄叫びをあげると、連続した手刀と足技の攻撃で、3人の暴走族を倒した。・・・が、そこまでだった。所詮、多勢に無勢で、蹴りやパンチが、雨あられと、美奈子の体に叩き込まれ、美奈子は再び、アスファルトの上に腹這いになってしまった。

「とんでもない暴力女だ。遠慮するな、姦っちまえ」

「おおっ!」

美奈子が、暴走族の集団にボコられていると、ようやく後続のパトカーが追い付いて来た。

「やべえ、本物のポリだ。逃げろ」

あっという間に暴走族は、バイクに跨ると、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

「大丈夫ですか?」

パトカーから降りてきた制服警官に美奈子は助け起こされる。下半身は擦傷だらけで血が流れており、顔面は殴られて青痣だらけ、上半身の服は引き千切られてボロボロだったが、休んでいるヒマはなかった。制服警官と二人がかりで、白バイを起こすと再び、座席に跨った。

「ちっ、後、37分しかないわ」

美奈子は、お気に入りのカルチェの腕時計を見て舌打ちをした。今の騒動で、文字盤のガラスの表面が割れてしまっている。

(ミスターニートめ。逮捕したら、ただじゃ置かないから!)

美奈子は再びアクセルを吹かせ、走り出した。

 

 高速道路を使って、ようやく八光駅のターミナルに着いた時、すでにミスターニートの指定した時刻より、30分以上オーバーしていた。途中、美奈子は3回転倒し、その度に、一人では白バイを起こす事が出来ずに、後続のパトカーを待たなくてはならなかったのだ。八光駅周辺にはすでに、八光署の刑事達が、通行人に紛れて張り込んでいるはずだった。

(やっと着いたわ)

力尽きた美奈子は、白バイごとタクシー乗り場の近くの歩道に乗り上げ、そのまま横転した。バイクの倒れるガシャンという音に通行人が驚き、人だかりが出来始める。下半身裸の女が、歩道に仰向けに横たわり、全身打撲の痛みに呻いているのだ。やがて、携帯電話が鳴った。

「はい・・・もしもし」

「今回は、いきなり、遅刻したね。ペナルティだ、2発目の爆弾を爆発させるよ」

「ちょっと、待っ・・・」

ガチャリと電話が切れた。美奈子は、泣きそうになる。これだけ頑張ったのに爆発を止められなかった。美奈子は、手に持っている携帯電話から八光署に電話をした。

「もしもし、課長」

「ああ、キャリアか。今さっき、2発目の爆弾が爆発したよ」

「被・・・被害者は?」

「幸いなことに、うちの警官2名が軽傷を負っただけだ。一般市民に被害はなかった。何せ、爆弾が仕掛けられていたのは、うちの署の駐車場に止めてあった古賀警部の自家用車だったから」

「・・・」

美奈子は、絶句した。愛車のロードスターは、去年買ったばかりで、まだローンもほとんど終わっていない。

(真紅の車体が自分のイメージにピッタリで、とっても気に入っていたのに・・・)

美奈子は全身が、悲しみと怒りでワナワナと震え、上級職警察官として犯罪者に立ち向かう気力が萎えていくのを感じた。

 

 また携帯電話が鳴った。

「いい加減にしなさいよ、あんた・・・」

美奈子は、涙声になっていた。

「目の前の噴水が見えるでしょう。そこで泳いで下さい。平泳ぎでね」

美奈子は、立ち上がると噴水に向かって歩き始めた。駅前広場の噴水は浅く、30センチ程の水深しかない。

「僕に逆らったら、日本のどこかで3発目の爆弾が爆発しますから」

ガチャリと電話が切れた。美奈子は、携帯電話を水に濡らさないように噴水池の縁のレンガの上に置くと、そっと片足づつ水に入った。もう6月なので、それほど水は冷たくなかった。

「あの変態女、噴水で泳ぐつもりだぜ」

「何考えてんだろ。頭、イカレてるんじゃね?」

「でも、すっごい美人だよ」

美奈子を見守っている通行人達が騒ぎ始めた。これだけ人だかりが出来ているのに、駅前の交番からは、警察官が一人も出てこない。八光署から口出しをしないように指示が出ているのだ。

(うっ、冷たっ・・・)

美奈子は、噴水の水に膝をつくと、腹這いになった。30センチの水深しかないので、全身を水に浸かって平泳ぎをするためには、ピッタリと池の底のタイルに腹を押し付けなくてはならない。美奈子が、平泳ぎの要領で手足を動かし始めると、皮膚がタイルに擦れて痛かった。

「あ、泳いでる。あの女、泳いでるつもりだぜ」

「あははは、面白ーい」

5分くらい、美奈子が手足を動かしていると、また、携帯電話鳴った。

「そのまま、歌を歌って下さい。そうだなあ、今回は、モーニング娘の『ラブマシーン』をリクエストします。振り付けもお願いしますよ」

「歌詞は知ってるけど、振り付けなんて出来ないわ」

「じゃあ、代わりに、この前やって貰ったタコ踊りでいいですよ」

びしょ濡れのまま、美奈子は立ち上がり歌い始めた。全身に染み込んだ噴水の水が生臭い。

「あんたにゃ〜もったいない〜♪あたしゃ、ホント、NICE、BODYBODYBODY〜♪」

3年前に大ヒットしたモニーング娘の代表曲だ。1999年9月9日に発売された7枚目のシングルである。下半身を露出させ。クネクネと身をくねらせる美奈子のタコ踊りに、通行人達は大爆笑した。

「いいぜ、アカペラ、露出女!」

「フー♪フー♪」

一緒になって歌い出すギャルもいる。

「どんなに不景気だって、恋はインフレーション〜♪こんなに優しくされちゃ、み・だ・ら〜明るい未来に就職希望だわ〜♪・・・・日本の未来は、世界がうらやむ〜」

「明るい未来なんて、こないよ!」

いきなり、耳元の携帯電話でミスターニートが怒鳴った。

「日本の未来は、少子高齢化とマイナス成長で、世界に馬鹿にされるんだ!あんた達、キャリア官僚や政治家の怠慢のせいでね!」

そのまま、ガチャリとまた電話が切れた。

 

 6畳一間のボロアパートの一室で、ミスターニートは、胡坐をかき、目の前に並べた二つの携帯電話を見つめながら、低い声で泣いていた。一つは美奈子に指示を出しているプリペイドカード式の携帯電話で、もう一つは普段使っているドコモのN2051だった。その機種は、去年流行り始めたカメラ付きの携帯電話で、折り畳み式の最新モデルだ。N2051の方には、登録している派遣会社から仕事の指示がメールで届いている。仕事内容は、建設現場での資材運びや、街頭でのティッシュ配りなどで、日によって行き先が違う。昨日からミスターニートは、美奈子とのゲームの準備に夢中で、派遣会社からのメールを無視していた。その時、ドコモの携帯電話が鳴った。出ると派遣会社の彼の担当者からだった。

「どうして電話に出ないんだ?昨日、現場に行かなかっただろう。派遣先のクライアントからクレームが来たぞ!」

担当者の声は低く、怒りが籠っていた。

「僕、ちょっと、今忙しいんです。後にしてくれませんか。それに、昨日の仕事、受けるって言ってないと思うんですけど」

「は?メールを、送ってるだろう!」

担当者は、怒鳴り始めた。ミスターニートはうんざりして電話を切った。間髪を入れずにまた呼出音が鳴る。

「もしもし・・・」

「おい、いい気になるんじゃないぞ。俺の権限で、いつでも、お前の登録を抹消出来るんだ!」

「勝手にどうぞ」

ミスターニートは、電話を切り、今度は電源までオフにした。この御時世、派遣会社は星の数ほどある。1999年7月の派遣法改正以来、日本には大小の派遣会社が乱立しており、ミスターニートにとっては、別の会社に登録し直せばいいだけの話だ。それよりも、今は、美奈子とのゲームに集中したかった。

 

 ラブマシーンを2番まで歌い切った美奈子は、棒立ちのまま、ミスターニートからの連絡を待った。異常に長い間が空き、通行人達が、次に美奈子が何をやり始めるのか、興味深々で見守っている。美奈子は下半身裸の自分に注がれる、痛いくらいの視線に耐えなければならなかった。

「あの人、先月の爆弾事件の時、ウンコを顔に塗りたくってた人じゃない?」

「あ、ワイドショーで俺も見たよ。確か、八光署の女刑事だって言ってたな」

通行人たちのざわめきの中、十数分が経過した頃、ようやく携帯電話が鳴った。

「もしもし」

「どうですか、気分は?」

「いいわけないでしょ!」

「足を思い切り広げて、指でオマンコを剥き出しにして下さい。そして、通行人の誰かにクリトリスを蹴り上げて貰って下さい。力一杯にね」

「くっ」

美奈子は、悔しさの余り、歯をギリギリと噛みしめた。言われた通りに、通行人に呼びかける。

「誰か、あたしの股間を、思い切り蹴って!」

当然のごとく、警戒して誰も応じようとしない。美奈子は上着のポケットから警察手帳を取り出して突きつけた。

「心配ないわ、あたしは警察官よ。傷害罪で捕まえたりしないから」

逆効果だった。公衆の面前で警察官に暴力を加える度胸のある一般市民などいる筈がない。

(マズイわ。ミスターニートの指示が実行出来ない・・・)

その時、一人の男が進み出た。通行人のサラリーマンに変装して張り込んでいた同僚の刑事だった。彼は、ニックネームが『始末書』と呼ばれている、交番勤務から転属になったばかりの新米刑事だ。

「俺がやってやる!」

『始末書』刑事は、狙いを定め、思い切り右足をスイングすると、美奈子の無防備な股間を蹴り上げた。

「あおおおおっ!」

余りの痛さに美奈子は絶叫した。股間を両手で押えて、その場でピョンピョン飛び跳ねる。

(手加減しなさいよ、馬鹿!)

美奈子は、『始末書』を睨みつけ、心の中で叫んだ。当の始末書は、ニタニタと笑い、英雄気取りで観客の声援を浴びていた。あまり、後先の事を考えない男なのだ。

「次は、ギャラリーの一人一人に顔面を殴られて下さい。もちろんグーでね」

ミスターニートからの指示は、容赦がなかった。美奈子は、ジンジンと痛む股間を抑えながら、再び通行人に呼びかけた。

「殴って!あたしの顔を順番に、グーで殴って!」

始末書が先陣を切ったために、躊躇していた他の通行人たちも、急に遠慮がなくなった。

「俺にやらせろ」

「あたしも」

「どうせ、また爆弾犯人に脅迫されてるんだろうから、大丈夫だよ。刑事殴れるチャンスなんて滅多にないし」

「ちょうどいい。この前、婦警に駐禁取られて、頭に来てたんだ」

美奈子の美しい顔に、次々とストレートパンチが叩き込まれた。唇が切れ、鼻血が噴き出す。美奈子は、殴られる度によろめき、倒れそうになったが足を踏ん張って仁王立ちになり、一般市民達が殴り易いように、顔を前に突き出し続けた。

「ぐふっ!・・・うぐっ・・・」

(このままじゃ、もたないわ。なんとか、ミスターニートに反撃する方法はないの?課長達は、何をやっているのかしら)

美奈子は、激痛に錯乱しながら、一向に、携帯電話の電波を逆探知も出来ない、同僚の刑事達を恨めしく思った。

(まさか、ワザと手を抜いているんじゃ・・・キャリアのあたしが、困るのを見て、内心、喜んでいるんじゃ・・・もし、そうなら許せないわ)

錯乱した美奈子の怒りは、あらぬ方向へ向けられ始めた。数十人のギャラリーのパンチを浴び終えた美奈子の顔は、無残に腫れ上がり変形した。顎が痛み、口が開かない。

「あなたの顔を見られないのが、残念ですよ。大声で、『私は変態のマゾ女です』って100回叫んでください」

ミスターニートは、そう言って電話を切った。美奈子は、顎に走る痛みをこらえながら口を開き、叫び始めた。

「あたしは変態のマゾ女です!あたしは変態のマゾ女です!あたしは変態のマゾ女です!あたしは変態のマゾ女です!あたしは・・・」

あごの骨に、ヒビが入っているかのような激痛を感じた。ほとんど口は動かさず、喉と舌だけを使って声を張り上げる。すぐに声が擦れ、喉に焼けるような痛みが走り始めた。

「あたしは変態のマゾ女です!あたしは変態のマゾ女です!あたしは変態のマゾ女です!あたしは・・・」

「ねえ、ママ、あの女の人、どうして叫んでるの?」

「叫びたいのよ、きっと。ストレスが溜まっているのかも」

子供づれの親子が囁き合っている。美奈子が70回くらい叫んだ頃、騒ぎを聞きつけたテレビ局の中継車がやってきた。

(もう!またマスコミに、晒し物にされるじゃないっ!報道規制くらい、ちゃんとやってよね!ホントにノンキャリって無能なんだからっ)

もはや、美奈子は、疲労とストレスで、正常に物事を判断出来なくなっていた。

「あたしは変態のマゾ女です!あたしは変態のマゾ女です!これで、100回目よ・・・声が・・・もう、出ない・・・」

美奈子の声は、ガラガラ声になっていた。携帯電話が鳴った。

「アハハハ、テレビに、下半身裸の、あなたが映ってますよ。こちらからは、丸見えです」

ミスターニートは、自分の家で、悠々とテレビ画面を見ているのだ。放送は全国区だろうから、居場所を特定することは不可能だろう。

「そうだ、いい事を思いつきましたよ。全国の視聴者に、あなたにやって欲しい事を、リクエストして貰ってください。そうすれば、もう僕から、わざわざ指示をしなくていいわけです。僕はテレビであなたの様子を見ていますから、もし実行出来なければ、その時に爆弾を爆発させるだけでいいわけです。」

電話が切れた。ミスターニートからの着信はそれが最後だった。

「そんな・・・それじゃ、終わりがないじゃない・・・」

美奈子は、絶望感に全身の力が抜けていくのを感じた。

 

犯人の要求は、テレビ局のスタッフに伝えられ、急遽、視聴者アンケートが実施された。たちまち全国から電話が殺到してコールセンターはパンク状態になり、視聴率が30パーセントを突破する。特番が組まれ、前代未聞の生中継が始まった。

『モノマネをやらせろ』

『逆立ちして、オシッコ』

『女刑事の顔に、ホームレスの小便と脱糞を受けさせ、それを食わせるという人間便器の展開を希望』

『官能小説を朗読しながらオナニー』

『鼻の穴に煙草を差したまま、志村けんのモノマネをして』

『電信柱に登って、セミの鳴き真似をして下さい』

美奈子は、根気よく、一つ一つ実行するしかなかった。もし、拒否して日本のどこかで爆発が起こり、罪のない一般市民が犠牲になれば、美奈子だけでなく警察全体が責任を問われる事になる。生放送は、各局の持ち回りで三日三晩続き、視聴率が漸く落ち始めてきた頃、美奈子の体力が尽きて、彼女は気を失った。リクエストで駅の構内のあちこちに落ちているガムを、這い付くばって、舌と歯で掃除して回っている最中だった。

「もう、限界か。さすがキャリアだ。よく頑張ったよ」

小野課長が、救急車で美奈子の体を警察病院に運ぶように指示した。

「全員、爆弾の爆発に備えろ」

日本中が、爆発に備えた。しかし、自分が巻き込まれる可能性は、確率としては数百万分の1のため、緊張感はない。3発目の爆弾は、美奈子の実家で爆発した。ある程度、予想されていたため家族は避難しており、被害者は出なかった。数日後、意識を回復した美奈子の病室に、小野課長が見舞にきた。

「唯一の手掛かりの携帯電話は、仙台市内のコンビニで販売されていたものと判ったよ。しかし、そこまでだ。誰が買ったのかまでは、わからん。おそらくミスターニートは、足が付かないように、わざわざ東北地方まで行って買ったんだろうな。こういうものは、売る時にちゃんと、免許証を提示するように規制しないといかんなあ」

「その法案は、今、国会で審議中の筈ですわ」

美奈子の顔の腫れは、かなり引いて来ているようだった。

「それと、もう一つ残念な知らせがある」

小野課長が言い難くそうに切り出した。口調に以前のような、美奈子に対する慇懃さが無くなっている。

「今回の事件は、警察庁始まって以来の大スキャンダルだ。犯人に脅迫されてとは言え、現職の女性警察官が、テレビで痴態の限りを晒したのだから」

「だって、他にどうしようもなかったじゃないですか!」

美奈子は、課長の言いたい事に察しが付き、フツフツと怒りが込み上げて来るのを感じた。

「それはそうなんだが、犯人が君に執着しているのは明白だ。ほとぼりが冷めるまで、他省庁に出向して貰う事になった。これが、その辞令だ」

課長が、病床の美奈子に書類を手渡した。

「法務省、公安調査庁・・・そんな!厄介払いってわけですか!」

「人事交流という名目だ。キャリアの君には、いろんな経験が必要だから」

美奈子の眼から涙がこぼれ落ちた。ミスターニートに、コケにされ、挙句の果てに左遷されたのだ。

(一旦、データセーブです・・・)

美奈子の耳に、ミスターニートの声が聞こえたような気がした。

 

第165話、ザコ戦闘員物語

 

井沢満里恵(25歳)は、18時過ぎにタイムカード切ると、私服に着替え、待ち合わせ場所である渋谷駅の東口へと向かった。大手貿易商社の総務部に勤務している満里恵は、同じ会社の営業部に所属する関口昌樹(29歳)と社内恋愛中で、近々結婚する予定だった。

(結婚しても、しばらくは仕事を続けよう)

真理恵は、彼氏を待ちながら漠然と考えた。すでに両家の顔合わせと、結納は済んでおり、最近では二人で、これから住むマンションの物件を探したり、式場を予約したりと、人生で最も幸福な時間を過ごしている。二人とも正社員なので、それなりに貯畜もあり、新生活を始めるにあたっての収入は充分だった。

(今日は、宮下公園を散歩して、それからデザートバイキングにでも行こうかしら)

「ごめんごめん、待った?」

スーツ姿の昌樹が、やって来た。身長175センチ、スリムな体型で笑うと白い歯が印象的な、イケメンの営業マンである。

「ううん、そんなに待ってないわ」

「おおっ、大胆だね、今日のファッション」

満里恵は、フリル付きのミニスカートと最近はやりのグラディエーターサンダルを履いていた。健康的な小麦色の太ももが眩しい。

「そうかしら、普通よ、こんなの。ねえ、今日は行ってみたいデザートバイキングの店があるの」

「えっ、晩飯に甘いもの食うのかよ」

「いいじゃない。たまには、そういうのも」

二人は、腕を組んで歩き始めた。幸せいっぱいのオーラに包まれていたが、都心の駅周辺では特に目立った存在ではない。視界には、他にもカップルは何組もおり、ショッピング街は、仕事帰りのサラリーマンやOL、学生達でごった返していた。一日のうちで、最も込み合う時間帯である。その時、遠くから悲鳴が聞こえた。

「何かしら」

「まさか、派遣社員の通り魔じゃないだろうな」

昌樹が、冗談ぽく言った時、連続して爆発音が聞こえた。

「きゃあああ!」

「な、なんだお前ら!」

「うわああ!助けてくれええ!」

たちまち、辺りは、口々に叫び、逃げ惑う人混みで大パニックになった。昌樹と満里恵は、呆然と立ち尽くす。何が起こっているのか判らないが、何かの事件に巻き込まれようとしているのだという、漠然とした不安を感じた。

「昌樹、怖い・・・」

「大丈夫だよ」

逃げ惑う人々を、全身黒づくめの怪人達が、手に短剣のようなものを持って追い回していた。捕まった通行人は、羽交い締めにされて引きづられている。

「ヒー!ヒー!」

「ヒー!ヒー!」

黒づくめの怪人達は、口々叫んでいた。頭からすっぽりと被った黒マスクの額には、鍵十字マークの金属プレートが付いていた。

「ザコ戦闘員ども。なるべく生きのいい人間を捕まえるのだ!」

全身が青黒くヌラヌラとした粘液で覆われたウナギ男が指揮していた。渋谷駅前で実体化した十数台のステルス装甲車から降り立った鍵十字団のザコ戦闘員が無差別に、通行人を捕獲している。先日、ゴキブリ女の失敗のせいで、大量のザコ戦闘員が戦死し、欠員を補充するための捕獲作戦だった。

「ほら、そこ逃がすな!気絶させてから運べと言ってるだろう。能無しのザコ戦闘員どもめ!捕まえた奴らは地獄のトレーニングの後、お前らの後輩になるんだから、しっかりやれ!」

「ヒー!」

駅前の交番から大勢の警官が駆けつけてきたが、全く歯が立たず、逆に捕まって装甲車に連れ込まれてしまう。逃げ遅れた昌樹と満里恵も、ザコ戦闘員に羽交い締めにされた。

「きゃああ!助けて、昌樹!」

「離せ、この野郎!」

ザコ戦闘員は、暴れる昌樹と満里恵の腹に、パンチを叩き込み、気絶させて、装甲車へと運んで行った。

 

あまりの蒸し暑さと息苦しさに満里恵は眼を覚ました。渋谷駅で拉致された人々が狭い車内に押し込まれ、すし詰めにされている。満足に手足を動かすことも出来ず、隣の男の息が顔にかかるほどだった。

「昌樹・・・昌樹・・・」

満里恵はフィアンセの名を呼んだが、聞こえてくるのは人々のうめき声ばかりだ。車は、ガタガタと揺れ、時々停車したり、急発進したりしている。犠牲者の人々は着のみ着のままで、多くは年齢も様々な、通勤途中のサラリーマンやOL達だった。世界で最悪と言われる東京のラッシュアワーに慣れた人々でさえ、苦痛に感じる蒸し暑さの中でステルス装甲車の車列は、都心を離れ、鉤十字団の秘密基地のある伊豆半島を目指した。文字通りレーダーにも映らず、肉眼でも見えない透明の車体を追跡することは、日本の警察にも、ネオガイア星人の治安部隊にも不可能だ。装甲車は、岩場にカモフラージュされたトンネルの入り口から地下基地へと収納され、ようやく満里恵達は、狭い車内から降ろされた。

「ハァ・・・ハァ・・・ハア・・・・暑い・・・」

髪の毛やブラウスが、汗でぴったりと体に張り付いていた。

「ようこそ、わが鉤十字団日本支部へ」

大勢のザコ戦闘員にガードされ、現われたのはゲッペルス4世だった。両脇にウナギ男とゴキブリ女を従えている。

「なんだ、お前らは!何の権利があって、こんなことをするんだ!」

被害者の中から声を荒げて抗議したのは昌樹だった。満里恵はフィアンセの姿を見て少し安心した。

「黙れ、劣等民族。お前達は、わが鉤十字団のザコ戦闘員となるのだ。そして世界征服のための捨石となれ」

ゲッペルス4世の高圧的な態度に、昌樹は、さらに食ってかかった。

「冗談じゃない、すぐに解放しろ!俺は、明日も会社なんだ!」

ゲッペルス4世が、困った顔をし、ザコ戦闘員に目くばせする。二人のザコ戦闘員が両脇から昌樹を押さえつけ、3人目が正面から蹴りを入れた。

「ぐはっ!」

「昌樹!」

思わず満里恵が叫んだ。顔を蹴られた昌樹の口からゴボゴボと血が流れ出す。

「こいつから注射をしてやれ」

「ヒー!」

ザコ戦闘員が注射針を昌樹の腕に突き立てた。青い毒薬が注入されていく。

「この毒薬を注射された人間は、一ヵ月ごとに解毒剤を打たないと、体が溶けて死んでしまう。だが、一ヶ月後に解毒剤を打ってやるのは、厳しい訓練に耐えてザコ戦闘員に採用された者だけだ。死にたくなければ、自ら切磋琢磨するがよい」

ゲッペルス4世の命令で、次々と拉致されて来た人々に注射が打たれていった。満里恵も例外ではない。

「いやああ!離して・・・注射なんかイヤ、ザコ戦闘員になんかなりたくない・・・来月、昌樹と結婚するのよおおお!」

暴れる満里恵の体に雨あられと蹴りが浴びせられた。捲れ上がったミニスカートからピンク色のレースのパンティが丸見えだ。

「ヒー!鍛え甲斐のありそうな女だ、ヒー。みっちり、しごいてやる、ヒー」

ザコ戦闘員の一人が、そう、つぶやくのが聞こえた。

「整列!全員裸になれ!」

全員に注射が終わると、ザコ戦闘員のリーダーが、号令をかけた。拉致された人々の反応は鈍い。

「号令が聞こえんのか!」

従わない人間達に殴る蹴るの暴行が加えられる。嫌々整列した人々が服を脱ぎ始めた。

「下着も全部だ。何も身に付けてはいかん!」

全員が一糸まとわぬ姿になり、服は没収される。

「こら、そこ!手で前を隠すな、直立不動の姿勢を取れ。ゲッペルス4世閣下の御前であるぞ!」

満里恵は、恥ずかしさを堪えて、乳房と股間の茂みから手を離した。

「お前達は、今から訓練が終わるまで、その格好だ。晴れてザコ戦闘員に採用された者だけに、今我々が着ているのと同じ、戦闘服が支給される。採用されなかった者は、死あるのみだから、どのみち、もう衣服は必要ないだろう」

ザコ・リーダーの言葉に全員の顔色が蒼くなった。

「訓練期間は、短い。早速今から訓練を始める。まずは腕立て伏せ100回だ!」

もたもたして、命令に従わない人間には、電気鞭が浴びせられた。

「ギャーッ!」

「早くしろ!」

さらわれて来た渋谷駅の昇降客は、ほとんどがオフィスで働くホワイトカラーの人間達ばかりだったので、元々、それほど体力のある人間はいない。男性は腹の出た中高年が多く、満里恵も、腕立て伏せは、11回が限界だった。

「甘えてんじゃねえぜ!」

コーチ役の戦闘員の蹴りが、満里恵の裸の尻に叩き込まれる。

「もう一回、最初からだ」

満里恵は、涙目になりながら再び腕立て伏せを始めた。

「グート!後は、任せたぞ」

ゲッペルス4世は、満足気にトレーニングの様子を一望すると、ウナギ男とゴキブリ女を従えて退室していった。ザコ戦闘員の訓練は、ザコ戦闘員がやるのだ。

「おらおら、まだ初日だぞ、へばって、どうする?死にたいのか、お前ら。ああん?」

腕立て伏せ100回を途中で止めたものには、容赦なく電気鞭が浴びせられた。新入りの訓練は、他に娯楽のない現役のザコ戦闘員にとって、またとないウサ晴らしである。しごきの格好の標的となるのは、若く美しい女性や、実社会では地位の高そうな中高年の男性だった。

「お前、偉そうな面構えだが、昨日までどんな仕事をしてたんだ?」

コーチ役の戦闘員が、白髪交じりの裸の男性に質問した。

「私は、北浜証券の営業部長だ」

「奇遇だな。俺は、そこの元社員だよ」

コーチ役の戦闘員は、醜く突き出た男性の下腹部を、戦闘用ブーツで踏みにじった。

「ここじゃ、お前の方が下っ端ってわけだ。せいぜい、可愛がってやるぜ」

ペッと戦闘員は、営業部長だと言う男の顔に唾を吐きかけた。満里恵は、戦闘員に乳房を揉まれた揚句に、チンポを顔に突きつけられた。

「しゃぶれ。しゃぶりながら腕立て伏せだ」

「い・・・いや・・・」

満里恵は、首を横に振って拒絶した。その様子を2列後ろで見ていた昌樹が、腕立て伏せを放棄して駆け寄ろうとする。

「満里恵!やめろ、くそっ!」

「お前、勝手な行動を取るんじゃないっ!」

別の戦闘員が、昌樹を押し留め、電気鞭で滅多打ちにした。

「あぎゃあああ!満里恵ーッ!満里恵ーッ!」

満里恵は、昌樹の絶叫を聞きながら、戦闘員のチンポを口に含んだ。目から涙があふれ出て、両頬を伝い落ちた。

「精液は、飲めよ」

口にチンポを含んでいるため、呼吸が困難になり、さらに腕立て伏せが難しい。結局、初日に腕立て伏せ100回をこなす事が出来たのは、ごく一部の人間だけだった。渋谷駅の騒動を止めに入り、一緒に拉致されて来た警察官達は、元々鍛えているのか、比較的成績が良い。

「全く、今回の新入りは、だらしがない。よし、次は発声練習だ。いくら訓練初日でも、そのくらいは、出来るだろう」

訓練生は、5列に並ばされた。満里恵の両腕と両肩は、突然の無理な筋肉運動で感覚が無くなっている。

「戦闘員の掛け声は、常に『ヒー』だ。それ以外の言葉は、なるべく使ってはならん。いいか、いくぞ、私の後に続け、ヒー!」

「ヒー!」

「もっと、腹の底から声を出せ。喉が潰れるくらいに声を張り上げるんだ!ヒー!」

「ヒー!」

「もっとだ、もっと!」

声の小さい訓練生には、電気鞭が叩き込まれる。満里恵も何度か、食らったが、一発でも、失神しそうになるくらい強烈な痛みだった。

「ヒー!」

満里恵は、泣きながら声を張り上げた。昨日までの、バラ色の幸せな生活が夢のようだった。

(新婚旅行、結婚式・・・予約した家具や電化製品・・・一体、どうなるんだろう・・・)

「ヒー!」

全裸で直立し、コーチ役の戦闘員に乳房や太腿を揉まれながら、奇声を発している自分が情けなかった。

 

初日の特訓が終わり、訓練生達は休息室へ押し込められた。10畳の部屋に30人ずつ割り振られる。男女関係なく、全裸で詰め込まれた訓練生達は、体力も精神力も尽き果てていた。

「おら、メシだ。メシは一日一回だから、よーく、腹に詰め込んでおけ。戦闘員たるもの、常に非常事態に備えねばならんから、一日三度もメシを食う暇はない」

ポリバケツに入ったドロドロの残飯のようなものが与えられた。とても美味しそうには見えない。

「あのう、箸とか、お椀はないのですか?」

一人の訓練生が恐る恐る尋ねた。

「ふざけるな!手と口を使って、直に食うのだ。作戦中は、食器など持ち歩けんからな!」

「ヒー!」

訓練生達は、早速、覚えた戦闘員用語で返事をし、バケツの中の残飯を食べ始めた。吐きそうになるくらい不味かったが、他に食べるものは無いのだ。

「満里恵、食べないのか?」

たまたま、同じ部屋に割り振られた昌樹が、声をかけた。

「だって、食欲がないの・・・」

「食べた方がいい。明日もきっと猛訓練だろう。生きていれば、そのうち救出されるかもしれない」

「グスン・・・デザートバイキング食べる筈だったのに・・・」

満里恵は泣きながら、ポリバケツに手を入れた。その部屋には、トイレの代わりの洗面器が一つと、水を飲むための蛇口が一つあるだけだった。窓もないので今が何時かすら、判らない。布団は無く、訓練生達は、木張りの床に雑魚寝だった。一畳辺りのスペースに3人が寝る計算なので、かなり狭く、暑苦しい。隣の中年男と裸の肌が密着し、鳥肌が立った。

「昌樹・・・あたし達どうなるのかしら?」

満里恵は、もう片方に寄り添っている昌樹に囁いた。昌樹の体温を感じ、少し安心する。

「奴ら、何者か判らないが、いつかきっと脱出、出来るさ。僕を信用してくれ。とにかく今は、頑張るんだ。」

「うん、満里恵、頑張る・・・昌樹、好きよ・・・」

満里恵と昌樹は、そっと唇を重ね合わせた。

 

次の日からの訓練は、凄惨を極めた。とにかく、たった1ヶ月間で一人前の戦闘員にならなくてはならないのだ。無茶な基礎トレーニングから始まり、ありとあらゆる格闘技を教え込まれた。

「目の前の板を素手で割れ」

ザコ・リーダーの命令に、満里恵は、板を見て怖気づいた。かなり分厚い。

「ヒー!やります」

満里恵は、か細い拳を握りしめ、板に力一杯叩きつけた。

「ヒーッ!」

板はビクともせず、逆に、拳に激痛が走った。擦り剥けて血が出ている。

「何をやっている845号。割れるまで、やれ」

「ヒー」

845号と言うのは、真理恵の認識番号だ。ザコ戦闘員や訓練生は、人格を否定されているため、個人の名前を使う事は禁止されている。

「ヒーッ!ヒーッ!」

満里恵は激痛を堪え、泣きながら何度も何度も拳を板に叩きつけた。皮膚が破れ、血が飛び散るのもお構いなしだ。骨にヒビが入るかもしれないが、訓練を止める事は許されない。満里恵だけでなく、周りでは訓練生全員が、痛みに耐えながら、板に拳を叩き込み続けていた。また、特訓の合間に、容姿の整った若い男女の訓練生は、ザコ戦闘員の詰所に連れ込まれることも多かった。正規のザコ戦闘員の慰み者にされるのだ。消耗率が高く、いつ死ぬか判らない戦闘員にとって、訓練生を慰み者にする事だけが、唯一の娯楽であり、ストレスの捌け口なのだ。

「もっと、足を開け。ぶちこんでやる」

「腰を振れ。そうだ、その調子」

「こいつ、舌使いうまいぜ」

満里恵は、バックから挿入されながら、別の戦闘員のチンポをしゃぶらされた。

「よし、次は俺だ。代われよ」

一人を射精させると、すかさず、次の戦闘員が、オマンコと口に挿入してくる。

「ああっ、あううう・・・お願い、少し休ませて・・・オマンコが擦れて痛いの」

「うるせえ、待てるか!俺はな、ビンタしながら強姦するのが好きなんだ」

「ヒー!ヒィィィィ!」

両頬に炸裂する、ビンタの嵐に、満里恵の視界に火花が飛び散った。隣で昌樹は、女戦闘員に、クリトリスを舐めさせられている。

「お前、舌、もっと伸ばせよ。全然、気持ち良くねえんだよ」

「ヒー・・・」

返事をする昌樹の声が、怒りに震えているのが、満里恵には判った。英語、フランス語、スペイン語の3ヵ国語を操り、会社の営業部でも、トップクラスの成績を挙げている昌樹は、元々プライドの高い男なのだ。

「役立たず」

女戦闘員の蹴りが、昌樹の金玉を直撃した。

「くっ・・・くうううっ!」

(昌樹、頑張って!あたしも頑張るから・・・ここから、逃げ出したら、もう一度、結婚式の準備をやり直しましょう)

満里恵は、心の中で昌樹にエールを送った。

 

そんな、ある日。満里恵は、戦闘員の詰め所で、奇妙な生き物を見た。最初は、改造人間か動物かと思ったが、よく見ると手足を切断された人間のようだった。

「アヤカ・・・アヤカ・・どこ・・・」

その人間の女は、四つん這いで歩きながら、うわ言のように呟いていた。背中には、タレ目の豚の刺青があり、肘や膝から切断された四肢のうち、右腕だけが残っていた。肌は若々しく、まだまだ艶があったが、苦悶に歪んだ、その顔は、どう見ても中年女だった。

「綾香を知りませんか?ねえ、あなた綾香を知りませんか?」

中年女は、初めて会う訓練生に、片っ端から尋ねて回っているようだった。

「あなた、日本人?」

戦闘員達から受ける凌辱の合間に、満里恵は、中年女に話しかけた。答えようと唇を開いた女の口の中には、一本も歯が無い。

「はい、私の名前は、片桐久美子と申します。ゲッペルス4世様のペットでございます」

「綾香って、誰?」

「あたしの娘です。十年前に南米で生き別れました。もし生きていれば今頃、中学生位になっている筈なのですが・・・」

「残念だけど、知らないわ。それに、名前と年齢だけじゃねえ。他に何か、手がかりはないの?」

「手掛かり・・・そうですね、顔は、あたしに似ています。クマのぬいぐるみが好きでした」

「それって、3歳の時の話でしょ・・・」

(子供は大体クマのぬいぐるみが、好きなもんよ。それに、あんたに似ているって言われてもねえ)

久美子の顔は、やつれ果て、抜歯されているため、原型からかなり変わっていると思われる。

「あたしも、まだ訓練生だから、そんなに自由はないの。でも、もし見かけたら教えてあげるわ」

「ありがとうございます!」

久美子は、頭を床に擦りつけて礼を言い、四つん這いでどこかへ去って行った。オマンコを極限まで引き延ばされて縫いつけられ、女穴の奥まで外気にさらけ出された、後姿が物悲しかった。

 

満里恵の肉体は、訓練開始の2週間目くらいから急激な変化を見せ始めた。全身の筋肉が、引き締まって盛り上がり、固い板を打ち続けた拳は、骨が固まって石のようになった。初日に出来なかった100回の腕立て伏せも、難なく、こなせる様になり、次は、人間一人を背中に乗せたままで、指立て伏せを100回やることを要求された。肩車スクワット100回や、腹筋1000回というメニューも追加される。

「お前ら、二人づつで向き合え。お互いに本気で殴り合うんだ。負けた者は、メシ抜きだからな!」

満里恵は、元証券会社の営業部長だったという中年男と向き合った。中年とは言え、2週間の猛訓練で、突き出ていたブヨブヨの腹も引っ込み、すっかり逞しくなっている。殴り合いは、空手やボクシング、柔道など、この2週間で教え込まれた格闘技の何を使っても良かった。

「キエエエエーッ!」

いきなり満里恵は、男の股間にある急所を狙って蹴りを繰り出した。中年男は、両手をクロスさせてブロックする。

「汚いぞ、このアマ!」

中年男は、物凄い速さでジャブを繰り出してきた。防ぎ切れずに、満里恵は何発かを顔面に浴びてしまう。二人とも全裸なので、道着を掴む柔道の技は使えない。満里恵は、ひしゃげた鼻から流れ出した鼻血が、喉に詰まってむせ込みそうになった。

(このままじゃ、やられるわ)

「ウケエエエエッ!」

猿のような雄叫びをあげ、満里恵は中年男の懐に飛び込んだ。パンチを浴びるのもお構いなしで、相手の顎に、下から頭突きを喰らわせる。そして自分の鼻から流れ出る血を、相手の目に塗りたくった。

「くそっ、目がっ!目が、見えないっ!」

動揺した男の股間がガラ空きになり、すかさず蹴りを入れる。グニャリと金玉の潰れる感触がして、あっさり勝負がついた。

「ギャアアアアア!」

男は、ぴょんぴょん飛び跳ね、やがて倒れ込むと悶絶して、そのまま気を失ってしまった。勝った満里恵も顔面血だらけで、ハァハァと肩で息をしている。

「ようし、次は、勝った者同士でペアになって殴り合え」

「え・・・?」

満里恵は、泣きそうになりながらも次の相手と向き合った。

「昌樹・・・」

「満里恵、遠慮なくやるんだ」

昌樹が、小声で言った。今度は恋人である昌樹と闘わなければならないのだ。

「でも・・・」

「いいから」

昌樹は、元々スポーツマンだったが、さらにその肉体は鍛えられ、精悍さを増している。一回目の殴り合いでも、満里恵のようにダメージを受けていない。

「始めろ!」

ザコ・リーダーの合図で、再び殴り合いが始まった。満里恵と昌樹も殴り合ったが、お互い、どうしても手加減してしまう。

「こら、そこっ!手を抜くな!本気でやれ!」

ザコ・リーダーに見抜かれ、二人の背中に電気鞭が浴びせられた。

「ヒーッ!」

「手を抜いたペナルティだ。お前ら、どちらか、負けた方には、拷問室行きの罰を追加してやる」

満里恵と昌樹の状況は、さらに悪くなった。

「満里恵!本気でかかってこい!」

昌樹が叫ぶ。満里恵はどうしていいか判らなくなった。

「出来ないよ・・・」

「頼む!やるんだ、満里恵!」

「ヒィィィィィッ!」

満里恵は、狂ったようにパンチと蹴りを繰り出した。石のように固い拳が、昌樹の顔面にヒットする。昌樹の口から血が溢れ出し、彼は、むせ込みながら折れた前歯を吐き出した。

「昌樹、ごめん」

謝った満里恵の背中に、監視している戦闘員の電気鞭が振り下ろされる。

「満里恵、もっとやってくれ・・・」

満里恵は、号泣しながら、よろけている昌樹の腹や背中に、連続で膝蹴りを入れた。昌樹は、打たれる一方で反撃してこない。

「貴様!真剣にやれと言っているだろっ!聞こえんのか!」

戦闘員が、背後から昌樹に電気鞭を無茶苦茶に浴びせかけたがそれでも、昌樹は反撃をしようとしない。やがて、滅多打ちにされた昌樹がぶっ倒れて動かなくなると、満里恵に勝利の判定が下された。

 

その晩、昌樹は、休息室に帰ってこなかった。殴り合い訓練の直後に、一人だけ拷問室に連れて行かれたのだ。雑魚寝の休息室では、ヤケになった男女の訓練生が何人か、互いの傷ついた肉体を貪り合って、セックスにのめり込んでいる。戦闘員の採用試験に受からなければ、死ななければならない。昼間、満里恵が戦って金玉を潰した証券会社の営業部長は、一人で苦しんでいた。

「お前、よふもやったな・・・」

営業部長は、真理恵の頭突きで、顎の骨もやられたのか、声が籠っていた。

「仕方ないわ、訓練ですもの」

「ここはら出たら、傷害罪れ、訴えてやるはらな」

「出れたらね!」

満里恵は、この地獄から救いだされるなら、裁判くらいなんでもなかった。次の朝、昌樹が、拷問室から戻ってきたが、全身鞭跡と、打撲傷だらけで、衰弱しきっていた。両手両足の生爪が全部はがされ、顔が倍くらいに腫れ上がっている。背中に焼き鏝を押しつけられたような火傷もあった。

「昌樹!」

「大丈夫だ、満里恵。気にするな」

昌樹は、力なく笑っていた。

「ごめんなさい、あたしのために・・・」

「・・・いつかきっと・・・きっと、ここを出て、結婚式を挙げよう・・・それまでは、何があっても生き抜くんだ・・・」

満里恵は、血だらけの昌樹の手を、愛おしそうに握り締めた。

 

やがて、1ヶ月が過ぎ、戦闘員採用試験が行われた。訓練の間に自殺したもの7名と、反抗して処刑されたもの4名、衰弱して死んだもの2名がいたが、残りは訓練に耐え抜き、試験では、その内の約3分の2の訓練生が合格した。満里恵と昌樹も、無事パスし、晴れて鉤十字の紋章の入った戦闘服が与えたれた。 

「合格者には、今月分の解毒剤を打ってやる。だが、気を抜くなよ。正式なザコ戦闘員になってからが、本番だ。勤務評価が悪い者には、来月分の解毒剤は与えられん」

ザコ・リーダーが、厳しい口調で言った。不合格者は、満里恵達合格者が見守る中で、ドロドロに溶けて死んでいった。

「ハイル、ヒトラー!」

「ヒー、ハイル、ヒトラー!」

整列したザコ戦闘員達は、ナチス式の敬礼をして、合格を祝い、一斉に唱和した。

 

 正式なザコ戦闘員になって1週間が過ぎた頃、満里恵と昌樹の所属する分隊は、基地司令官ゲッペルス4世の護衛の当番に当たった。金髪碧眼のドイツ人青年であるゲッペルス4世は、その日、財銭教授の改造人間研究室を訪れた。

「教授、新しい改造人間は完成したのかね?」

「はい、閣下、こちらでございます」

財銭教授は、完成したばかりのバッタ男を披露した。全身緑色で、筋肉を強化された男は、頭に2本の触覚を付けている。

「脚力を中心に強化しております。このバッタ男は、ジャンプ力に優れ、必殺技のバッタキックは、一撃でどんな相手でも粉砕します」

「ほう、ぜひ、見たいな」

関心を寄せたゲッペルス4世を、財銭教授は、揉み手をしながら基地の外へと案内した。伊豆半島の海岸沿いに作られた秘密基地の上空にはステルスバリアが張られ、外に出ても、基地周辺ならレーダーに探知されることはない。

「標的は、どうしましょう?」

「そうだな、お前、前へ出ろ」

ゲッペルス4世は、直立不動で警護していたザコ戦闘員の中から、適当に昌樹を指差した。それは、本当に偶然だった。全頭マスクを被ったザコ戦闘員など、ゲッペルス4世にとって、誰でも同じなのである。

「必〜殺、バッタキィィィック!」

バッタ男は、数十メートルもジャンプし、急降下すると昌樹の胸板中央に蹴りを命中させた。昌樹の胸板は、背中までバッタ男の右足に貫かれ、そのまま、後方の岩場に叩きつけられた。

「ヒイイイイイッ!」

昌樹の体が内側から破裂し粉々の肉片となって飛び散った。それほどバッタ男のキックは威力があったのだ。一人のザコ戦闘員の人生が終わったが、ゲッペルス4世も、財銭教授も、その事には、全く、気を止めていないようだった。ザコ戦闘員とは、そうした存在なのだ。

「グート!素晴らしいぞ、財銭教授!」

「お褒め頂き、光栄です、閣下」

バッタ男の必殺技の威力に、ゲッペルス4世は上機嫌だった。

「これからも、我が鉤十字団のために、研究に励んでくれ」

「かしこまりました、喜んで」

相変わらず無言で直立不動のザコ戦闘員達は、内心、今日、死んだのが自分では無い事にホッとしていた。満里恵を除いては。

(まさか、死んだの?昌樹!いやああああ!)

満里恵は、今、目の前で起こった現実を受け入れらず、叫び出したいのを必死に堪えて、全頭マスクの内側を涙で濡らしていた。

 

第166話、天皇陛下の諜報部員

 

 1944年7月。イギリス空軍のデヴィット・マーダー少佐(40歳)は、愛機のスピットファイアMK10を駆ってドイツ本国領空へと侵入した。MK10は、名機スピットファイアの最新バージョンである。すでに、西部戦線では、パリ解放が目前に迫り、東部戦線においてもドイツ軍の総崩れが始まっている。ドイツの敗色は濃厚となり、もはや戦局を逆転することは、誰の目から見ても不可能に思われた。

(戦争が終わったら、退役して農薬散布の仕事でもするか)

デヴィットは、のんびりそんな事を考えながら、操縦桿を操り、迎撃してくるドイツ空軍のメッサーシュミットを撃ち落としていく。エースパイロットとしてベテランの域に達したデヴィットは、居眠りしていても空中戦に負けることはない。右足の義足の調子も快調で、最近は、義足をつけている事すら、ついつい忘れてしまう程だった。

(最近のドイツ人パイロットの腕は、かなり落ちているな。熟練パイロットは、あらかた戦死してしまったんだろうな)

十数機を撃ち落とし、基地に引き揚げようとした時、上空から奇妙な物体が急降下してきた。普通のプロペラ機ではない。円盤状の機体が回転しながら飛行している。迷彩塗装にハーケンクロイツのマークがペイントされている所を見ると、ナチスの新兵器のようだった。

「なんだ、あれは!あれも、噂に聞く古代技術の産物ってやつか」

デヴィットは、スピットファイアを旋回させ、回避しようとした。しかし、ナチスの円盤機は、物理法則を無視したような動きで、ぴたりとデヴィットの愛機を補足してくる。円盤機から正確な機銃掃射が行われ、スピットファイアの翼を穴だらけにした。

「くそっ、またやられた!何回目だろう、撃墜されるのは!」

デヴィットは、墜落するスピットファイアのコクピットを飛び出し、パラーシュートを開いた。

(やれやれ、ここは、ドイツ領空だ。連合軍の占領地域まで歩かなきゃならん)

デヴィットはうんざりした。

 

 ベルリンの総統官邸に、久石千鶴は、呼び出しを受けた。ヒトラー総統が会いたがっているという。

「ハイル・ヒトラー!お目にかかれて光栄です。ヒトラー閣下」

千鶴は、直立不動でナチス式の敬礼をした。この人物に会うと、いつも恐怖を覚える。

「20年ぶり、かな?」

「ええ、1923年に一度、お会いしました」

それ以前の彼の前世でも、何度も会っているが、転生者である彼自身には、その記憶はない。いずれも千鶴にとって愉快な記憶ではなかったが。

「フラウ・ヒサイシ。あなたの事は、私の友人のミッシェルから聞いている。南極の秘密基地を案内してやってくれと頼まれた」

千鶴は、内心狂喜した。ミッシェルの話や、ベルリンに来てから集めた情報によると、そこは、古代アトランティスの超科学の産物の宝庫で、宇宙人に対抗出来る兵器が、山のように積まれている筈だった。

「総統閣下の特別の計らい、本当に有り難く存じます。ぜひ、よろしくお願いします」

「ふむ、実は、私は、もうこの戦争は勝てないと思っておる。ユダヤ人との闘争に敗れたのだ。戦後の世界はユダヤの闇の政府にゆだねられるであろう」

ヒトラーは、苦々しげに言った。千鶴は、どう答えていいか判らず、兼ねてからの疑問を口に出した。

「ユダヤ人とは、一体何なのですか?」

「以前、ミッシェルが、私に教えてくれた。奴らは古代アトランティス時代にあったバベルの塔の管理者の末裔だそうだ。ユダヤ人の先祖は、アトランティス人の中でも最も知能の高い『天才階級』と呼ばれるグループに属する人間達だった」

「・・・・」

「ユダヤ人は、Y染色体の中に知能を高める特殊なDNAを持っている。ネアンデルタール人がクロマニヨン人に滅ぼされたように、いずれ人類は、彼らにとって代わられるだろう。私は、それが許せない。人類の次の時代を担うのは、ドイツ人に代表される金髪碧眼のゲルマン民族でなくてはならないと考えている」

千鶴は、ヒトラーの姿をまじまじと見つめた。どう見ても、ヒトラー自身、金髪碧眼ではない。

「実はな・・・」

千鶴の視線に気づき、ヒトラーは自嘲気味に語った。

「以前、ドイツの支配地域に居住するユダヤ人の家系をしらみ潰しに洗い出す調査を、ゲシュタポにやらせた。その時、なんと、私の父方の祖父がユダヤ人だった事が判明したのだ。つまり、私自身、ユダヤ人のY染色体を持っていたのだよ」

「総統が・・・・まさか・・・」

「私は、大いに悩んだ。ドイツ、アメリカ、ソ連、イギリス・・・この大戦にかかわっている主要国全てが、結局、ユダヤのY染色体に踊らされていたのだ」

「日本は?日本はアジア人の国です。ユダヤとは関係がありません」

千鶴の問いに、ヒトラーは苦笑いをした。

「ナチスの秘密機関の調査によれば・・・古事記に書かれている神武天皇というのは、ユダヤ人だった事が実証された。紀元前8世紀にアッシリアによって連れ去られたイスラエルの失われた十部族は、中央アジアからシルクロードを経て春秋戦国時代の秦国へと渡り、やがて秦の始皇帝が中国全土を統一した時代に、仙人徐福に率いられて日本列島の南九州へと植民したのだ。徐福という中国名は、おそらくヨセフが訛ったものだろう。そして九州の日向から神武天皇の時代に東遷し、現在のミカドの始祖となった。渡来人秦氏というのは、秦国から来たユダヤ人とういうわけだ」

千鶴は、1700年前の邪馬台国時代を思い出した。千鶴は、そこで女王卑弥呼から、壮絶な拷問を受け、日向王朝と邪馬台国の抗争も目の当たりにした。

「日本の天皇家は、古来からのY染色体を継承することに非常に固執しているのだろう?それもユダヤ人の特性だ。なぜなら、そのY染色体は、古代アトランティス時代から受け継がれた『天才階級』の証なのだから」

そう語るヒトラーは、自分の理想と折り合いのつかない現実に、絶望しているようだった。

「我々は、これより南極の秘密基地へと退却する。ナチスドイツの主要メンバーも影武者と入れ替え、全員、Uボートで南極へ避難させることにした。幸い、アトランティスの遺産にクローン技術というのがあって、人間の髪の毛一本から、全くそっくり同じ人間を人工的に作り出すことが出来る。彼らに身代わりになって貰い、本物は生き延びるのだ」

千鶴は、学生だった頃、教科書で教わった歴史とは、あまりに違う展開に、自分がパラレルワールドに迷い込んでしまったのかと、一瞬不安になった。元いた未来に帰れなければ、宇宙人への復讐も意味が無くなってしまう。

「我々は、南極の秘密基地で、ユダヤ人どもの目を逃れて、じっくりと古代技術の解明と復活に時間をかけることにする。そして何十年後かには、再び歴史の表舞台に登場することになるだろう。その時こそ、わがナチスのラストバタリオン、最後の部隊が世界を席巻するのだ」

(そして、そのラストバタリオンを、21世紀初頭に侵略してくる宇宙人にぶつけよう。それしか、方法はないわ。もし、それでも戦力が足りなければ時間管理局を、ハメて・・・)

千鶴は、必死で頭脳を巡らせた。具体的にどうすれば、この二つの勢力を動かすことが出来るのかは判らないし、また、仮に成功したとしても、宇宙人に対抗出来るだけの戦力に足り得るのかどうかも判らない。

「ところで、フラウ・ヒサイシ。不思議な事に、私は、生まれる前にも、あなたに会った事が、あるような気がしてならないのだが」

ヒトラーは、唐突に言い出した。千鶴は正直に答える事にした。

「ミッシェルから聞いておられると思いますが、私は、1974年の日本で生まれ、29歳の時に、宇宙人の人体実験で不老不死の肉体に改造された後、西暦5年のローマ帝国に置き去りにされました。おそらく、場所はこのベルリンの近くだったかもしれません。だから、正確には、私の年齢は1968歳という事になります。」

「つまり、前世の私に会った事があると言うのかね?」

「はい」

「前世で、私は、どんな人物だった?」

「あなたは、常に帝国を率いる支配者で、周囲の国に侵略者として恐れられていました。モンゴルのジンギスカン、中国の曹操、インカ帝国のアタワルパ、日本の織田信長・・・私が直接会ったのは、この4人だけですが、他にもあなたの前世に当たる歴史上の人物が、数多くいた筈です」

「ふむ・・・」

ヒトラーは、考え込んだ。いずれの人物も1代で、その帝国の版図を広げ、多くの人民を虐殺した事で、行動パターンが一致している。その人物が登場する前と後では世界の情勢が一変し、本人が非業の死を遂げた後も決して元に戻ることはなく、歴史は次の段階へと移行していると言うのも共通だ。

「なぜだか、あなたの言っている事は真実だと、直感的に、私には、確信出来る・・・」

神経質なヒトラーには珍しく、遠くを見るような目つきで呟いた。

 

 前線を視察中に爆撃を受け、重傷を負ったエルヴィン・ロンメル元帥は、軍の病院で目を覚ました。一般兵の病棟ではなく、国民的英雄である元帥にふさわしい特別病棟だった。

「あ・・ここは・・・」

「ベルリンです。元帥閣下は一週間意識不明の状態でした」

主治医が説明した。

「俺は、助かったのか」

「はい、頭蓋骨骨折の重傷でしたが、素晴らしい生命力です。命に別条はありません」

ロンメルは、頭に手をあてた。包帯が巻かれている。

「実は、例の古代文明の医療技術を使いました。本当なら救いようのない状態でしたが、ほとんど傷痕すら残らずに退院出来るでしょう」

主治医は、ニヤリと笑った。

「戦況は?」

「さあ、私には専門外ですから、なんとも。元帥が意識を取り戻された事を、これから大本営に報告いたしますので、すぐに参謀本部の方が見えられるでしょう」

ロンメルは、気が気ではなかった。彼がダウンした事で、西部戦線は崩壊したかもしれない。数時間後に、親衛隊長官ハインリッヒ・ヒムラーが面会に訪れた。

「ロンメル元帥。相変わらず悪運の強い男だな」

「ああ・・・運がいいのか、悪いのか・・・戦況はどうだ?」

「最悪だよ。もはや第三帝国に勝ち目はないと、総統はおっしゃられている」

「講和に持ち込むのか?」

「いや、ドイツ第三帝国は、最後まで降伏はしない」

「無駄死にするだけだぞ。我々はともかく、一般の兵士や国民の犠牲者が哀れだ」

「総統は、決断された。ナチスドイツの中枢部を南極の地下要塞へと脱出させる。もちろん君もだ」

「南極・・・古代文明・・・・噂には聞いているが」

「地下要塞には、農業プラントや、人工太陽の設備もあり、自給自足で半永久的に潜伏することが可能だ。収容人数は約50万人。すでに、純粋アーリア人の遺伝子を持つ男女や、ヒトラーユーゲント、レーベンスボルン(生命の泉)の出身者たちが、Uボートで密かに送り込まれている」

「我々が脱出した後、ドイツは降伏するのか?」

「そうだよ。身代わりは、クローンがやってくれる。遺伝子から複製した完全なコピー人間だ。表向き、君は反逆罪で処刑される事になっている」

「フッ、この私が反逆罪・・・笑えるな」

「もうすぐ、総統へのクーデター計画が実行される。君はその首謀者というわけだ」

「どうせ茶番なら、もっとリアリティのある筋書きの方が良くないか」

現実主義者のロンメルは文句を言った。

「贅沢を言うな。総統と私なんか、自殺する事になっているんだぞ」

「やれやれ、勝手にしてくれ」

ロンメルとヒムラーは肩をすくめて笑い合った。

 新型のジェット戦闘機や、ナチス版UFO『ハウニヴ』を製作しているドイツ南部の基地で、ヘルマン・ゲーリング空軍元帥は、副官から報告を受けた。

「イギリスの撃墜王、デヴィット・マーダー少佐を捕虜にしました」

「そうか、それは、良かった」

「ベルリン上空で撃墜され、徒歩で自軍の占領地域に戻ろうとしている所を逮捕されたようです。ただ、彼の右足が・・・」

「うむ、右足?右足がどうかしたのか?」

「噂通り義足だったのですが、古代文明の技術が使われているかと・・・」

「何だって?イギリスも、古代技術を手に入れたということか!まずいぞ、それは、非常にまずい。すぐに、マーダーをこの基地に連行し隔離しろ。奴を逮捕したのは憲兵隊か?」

「はい」

「ヒムラーの管轄だな。私が掛け合う」

ゲーリング元帥は、慌てて電話の受話器を取った。大戦に敗れるばかりか、ナチスの技術的優位も失われてしまう。

 

デヴィット・マーダーは、特別車両で厳重に警護されベルリンから、バイエルン近郊の秘密基地へと護送された。彼の義足は外され、没収されたため、逃げ出す事も出来ない。

「どこへ連れて行く気だ?噂に聞くアウシュビッツ収容所か?」

「もっといい所だよ。厳しい拷問が待っているだろうから、楽しみにしてな」

デヴィットを警護しているのは親衛隊の将校だった。

「階級と、認識番号以外は、しゃべらんぞ」

「強がるのも今のうちだな。ドイツで最も美しく残酷な拷問人がお前の到着を待ちかねているらしい」

デヴィットを乗せた護送車は何時間も走り続け、その間、何度も連合軍の爆撃のため停車しなくてはならなかった。

「ドイツはもう終わりだな」

デヴィットは嫌味をこめて言った。しかし、親衛隊将校は、ニヤリと笑っただけだった。

「フフフ・・・果たしてそうかな」

護送車は、山奥にある鉄条網と塀で何重にも囲まれた飛行場のような場所に到着した。手錠をはめられ、親衛隊将校に引き立てられたデヴィットは、片足でピョンピョン跳びながらゲーリング空軍元帥の前に連れて行かれた。

「ようこそ、空の英雄マーダー少佐」

「俺に何の用だ?」

「君自身には興味がないよ。私が知りたいのは、君の義足についてだ。どこで手に入れた?」

「義足・・・ああ、あれか。貰ったんだよ。気前のいい男にね」

「馬鹿を言え。あれは、古代アトランティスの技術の産物だ。そこらの男が持っている代物じゃない。正直に言いたまえ。そうすれば、痛い目に合わずにすむ。イギリスは、どこまで古代技術を解明したんだ?」

「古代技術?何の事かさっぱり判らん」

「グレーゼ少尉、この強情な男を可愛がってやりたまえ」

ゲーリングに呼ばれて進み出たのは、親衛隊士官の制服を着た若い女だった。金色の髪と青い眼を持つ典型的なゲルマン民族の女で、女神のような美貌をたたえていたが、その猛禽類を思わせる眼が、彼女が真性サディストである事を物語っていた。イルマ・グレーゼ(21歳)は、手に持った鞭をしならせ、デヴィットの顔をいきなり打った。

「何しやがる!」

デヴィットの顔面の左頬からこめかみにかけて、赤い蚯蚓腫れがついた。

「たっぷりと、楽しませてあげるわ」

イルマは、デヴィットの顔面に唾を吐きかけた。

 

ドイツ南部バイエルンの山奥にある秘密工場に、山川桃次郎は潜入しようとしていた。伊賀忍者の子孫である桃次郎は、影のように移動し、監視の兵士の視線に入らないように塀を乗り越える。幼い頃から訓練した驚異的な跳躍力だった。

(古代文明の技術、ここに、それがあるのだろうか)

設計図の1、2枚でも盗み出し、日本に持って帰るのが、桃次郎の役目だった。

(こんな所から、苦労して盗むより、千鶴さんに掛け合って貰って、あのミッシェルとかいう男から頂いた方が、早いんじゃねえか?)

桃次郎が、毒付きながら換気口を這い進んでいると、ある研究室で、タイプライターを打っている一人の女に目をとめた。

(おや、あの女、どこかで見た気が・・・)

白人ばかりの秘密工場で、なぜか、その女だけがアジア人だった。

(あっ、あいつは、東京にいたゾルゲの愛人だ!どうしてこんな処に・・・)

桃次郎は、換気口のフィルターの隙間からその女を観察した。女は切れ長の目と黒い髪を持ち、エキゾチックな端正な顔立ちをしているが、無表情だった。まるで感情がないようだ。

(時間管理局のエージェント・・・確か、あの女の写真を見せた時、千鶴さんがそう言っていた。人間じゃないのか?)

その時、突然タイプを打っていた女が振り返り、換気口の方を見た。何かをスキャンしているような目つきだった。

(こっちを見てやがる。どうして判ったんだ!気配は完全に消していた筈・・・)

桃次郎は、背筋にぞっとするような冷たいものが走り、サイレンサー付きの拳銃を、ガンベルトから引き抜くと、女を目掛けて撃った。

「データバンク検索・・オ前ハ、コノ時代デハ絶滅寸前ノ忍者カ」

女は、前回と同じく拳銃弾を浴びても平然としている。

(ヤバイ、殺られる!)

桃次郎は、換気口を伝って逃げ始めた。背後でフィルターが破られ、女が這い上がってくる物音を聞いた。

 

 デヴィット・マーダーは、全裸に剥かれ、長い拷問を受けていた。拷問人はイルマ・グレーゼで、時折ゲーリング元帥が様子を見にやってくる。全身に針を押し込まれ、吊られたまま警棒で殴られたデヴィットは、血だるまになっていた。

「お前のここを、使い物にならなくしてやるよ!」

イルマは警棒で、何度も何度もデヴィットの股間を殴りつけた。睾丸が倍くらいに膨れ上がり、殴られる度に右足の無いデヴィットの体がブランコのように揺れる。

「ぐぎゃああああ!俺の、俺の右足を返してくれっ!」

「ダメよ。あれはもう、科学者達が研究のために分解してしまったわ」

「あれがないと、俺は、もう飛べないんだ・・・」

「知らないわよ、そんな事。それよりも、素直にしゃべらないと、片足だけじゃ済まないわよ」

イルマは、赤く熱した焼き鏝をデヴィットの腹に押し当てた。

「ぎゃああああああ!」

「肉の焦げるいい匂いね。この子達も涎を垂らしているわ」

イルマの愛犬であるジャーマンシェパードが唸り声を上げた。

「イギリスが、古代技術をどこまで実用化したのか話す気になった?」

「古代技術なんか政府も軍も知らない・・・あの義足は、俺が個人的にミッシェルという男から貰った物だ・・・」

「強情ね。眼を潰してやろうかしら」

イルマは、焼き鏝をデヴィットの顔に近づけた。この女には他人に対する同情という感情は全くないらしい。デヴィットは、もがいた。

「やめてくれええ!俺は嘘なんか言ってない・・・」

「残念ね。光のある人生にサヨナラしなさい」

イルマが焼き鏝を押しつけようとした瞬間、換気口のフィルターが破れて、男が一人落ちてきた。

「な、何なの!」

ジャーマンシェパードが落ちてきた男に飛びかかる。男は、サイレンサー付きの拳銃で、犬を撃ち殺した。

「ちっ、スパイどころじゃなくなったぜ」

男・・・桃次郎の後から女が落ちてきた。事務職員の制服を着ていたが、時間管理局員の米谷正子ことイエスイだった。

「オカシイ。オ前ハ、時間管理局ノデータファイルデ、歴史的重要度ガランクヅケサレテイナイ」

「うおおおお!」

桃次郎は手近にあった拷問用の鉄椅子を持ち上げ、イエスイに叩きつけた。普通の人間なら、頭を強打し昏倒する筈なのだが、折れ曲がってヘコんだのは椅子の方だった。

「ヘルプミー。誰だか知らんが俺を、降ろしてくれ」

吊られたままのデヴィットが、桃次郎に頼んだ。イエスイの目が、デヴィットの裸体をスキャンする。

「オ前モダ。オ前モ、歴史的重要度ガランクヅケサレテイナイ。ツマリ、時間旅行者カ、モシクハ、ソレニ準ズル異物」

次に、イルマ・グレーゼをスキャンした。

「オ前ハ、歴史的重要度Fランク。間違イナク、コノ時代ノ人間ダ」

「誰か来て!侵入者よっ」

イルマが叫んだ。桃次郎が拳銃で、デヴィットを吊っている革ベルトを撃ち抜く。デヴィットは、片足で着地し、ピョンピョン飛び跳ねた。

「逃げよう。ラナウェイだ」

桃次郎がドアを蹴破って走り出した。全裸のデヴィットも跳ねながら続く。イエスイは、警棒と鞭で攻撃してくるイルマに手間取って、追跡が遅れた。

「オ前ハ、殺セナイ」

イエスイは、イルマに対しては反撃しようとしない。元々この基地に潜入していたのは、ナチスの円盤開発やジェット機の開発が、歴史通り進んでいるのを監視するためだった。拷問室を出るのに手間取っていると、さらに行く手をナチスの兵士にさえぎられた。

「シマッタ、コノ時代ノ人間ハ殺セナイ」

イエスイは、発見した異物の追跡を断念するしかなかった。

 

 1945年正月。大日本帝国の帝都東京で陸海軍合同の参謀会議が開かれた。主催者は、陸軍航空隊参謀の久石隆政少将(62歳)である。

「米英に勝利するためには、人間兵器の実戦投入が不可欠である」

隆政は切り出した。彼の発案で『人間兵器考案委員会』が発足したのである。

「一番、誰でも思いつくのは、飛行機にパイロットを乗せたまま敵艦に体当たりする、やり方だが、他に何かアイデアはないだろうか?」

「小舟に爆薬を積んで体当たりするというのはどうでしょう?」

海軍の参謀が進言した。

「魚雷に、操縦席を付けて小型潜水艦に改造するという方法もあるぞ」

「もっと手軽に、手榴弾を持ったまま敵戦車に体当たりするとか」

「おお、それは経費が、かからなくていい」

集まった参謀達の議論に、熱気が籠ってきた。夢中で口角から、唾を飛ばし語り出す。

「軍人だけじゃなく、一般市民にもやらせてはどうか?『一億玉砕火の玉だ』とか宣伝文句をつけて。どうせ竹槍じゃ、勝てんのだし」

「竹槍訓練は、あんたが言い出したんでしょうが!」

「わははは、そうだったかな」

開戦当時の知将、勇将達は、みな最前線で戦死してしまった。残っているのは後方勤務のデスクワークしか知らない連中ばかりである。

「戦艦大和が残っています。あれを特攻させましょう。残しておいても使い道が無いですし」

「連合艦隊は、旗艦以外全部沈められちまったからなあ。」

「大和の乗組員達は、開戦以来ろくに戦闘に参加もせず、旗艦であるのを良い事に、いつも後方にいました。エリート気分の彼らに一億特攻の先駆けとなって頂くのがよろしいかと」

「賛成!私は賛成だ。片道燃料だけ積んで特攻させてやれ。鬼畜米英に大和魂を見せつけて有利な講和の条件を引き出すのだ。私達さえ生き残れば日本は再建できる」

久石隆政は、戦争の早期決着のためには、どれほどの犠牲を払っても、仕方の無いことだと思った。彼の不肖の息子、三男光隆もサイパンで戦死したと聞いている。次男の重隆は、満州で白人だけを殺す細菌兵器の開発に取り組んでいる。

(重隆よ・・・急がねば、お前の研究が完成する前に日本は滅びてしまうぞ)

隆政は、重隆の研究こそが、土壇場で日本を救うと考えていた。細菌兵器を、伊500型潜水艦でアメリカ本土へばらまくのだ。ヨーロッパへ派遣中の伊500には、すでに帰国命令を出してある。本来は原爆を搭載する筈だったのだが、ドイツでも日本でも開発が遅れ、終戦までに間に合わない。アメリカが核実験に成功したという未確認情報も中野学校の上月大佐から入っていた。

(戦争に負ければ、日本民族が、この地球上から消えて無くなってしまう。男は去勢され、女は犯されるのだ。神国日本が、白人の手で.汚されることなど、あってはならん!)

東条内閣が総辞職した今、日本の指導部は、分裂し迷走していた。決戦派、講和派が入り乱れ意思統一が図れなくなりつつある。

(私が、しっかりせねばならん)

隆政はそう思った。

 

山川桃次郎と、デヴィット・マーダーは、ドイツ軍の基地内を逃げ回っていた。時間エージェント米谷正子の追跡は振り切ったものの、ナチスの兵士達が、二人を狩り立てている。

「待ってくれ、片足じゃ、これ以上速く走れない。それに、体中の針を抜かないと、痛くて気絶しそうだ」

デヴィットが、訴えた。桃次郎はため息をつく。

(やれやれ、厄介な男を助けちまった。こんな所で捕まったら国際問題だぜ。日本とドイツの同盟にひびが入っちまう。噂に聞くゲシュタポの拷問っていうのも、ぞっとしねえしな)

「飛行機を奪って逃げよう。俺は空の英雄だから、操縦は任せてくれ」

デヴィットが大見えを切った。桃次郎は、胡散臭そうに裸のイギリス人を見た。

「あんた連合軍のパイロットか?片足で操縦できるのか?」

「多分」

桃次郎は、デヴィットをかばいながら、潜入する前に記憶した基地の見取り図を、思い浮かべ、格納庫にたどりついた。

「これは・・・」

そこには、ナチスが古代技術を基に製作した円盤機や、ジェット機が所狭しと並べられていた。

「スピットファイアは無いかな?」

デヴィットが言った。

「あるわけねえだろ。さあ、どれをかっぱらうんだ?あんた、どれなら操縦出来る?」

「あれかな・・・」

二人は、メッサーシュミットME262と機体にペイントされたジェット機に乗り込んだ。

「これ、一人乗りじゃないのか?」

「悪いが、俺の右足の代わりになってくれ」

桃次郎とデヴィットは、操縦席に二人羽織の体勢で座った。デヴィットが必死で操縦桿や計器類を調べる。

「判るのか?」

「当たり前だ、俺は空の英雄、デヴィット・マーダーだ。飛行機の操縦にかけては天才なんだ。この俺に操縦できない飛行機などない!」

デヴィットは、ME262をスタートさせた。バルカン砲で格納庫の扉を粉砕する。世界初の実用ジェット機は、滑走路に出ると猛スピードで加速し、浮き上がった。

「この加速。すごい!たまらん!スピットファイアとは比べ物にならん!」

デヴィットが子供のように、はしゃぎ始めた。桃次郎は、加速の衝撃とデヴィットの体重で押し潰されそうになる。コクピットの外は夜空で、月と星が綺麗だった。

「時速800キロオーバー!グレイト!よーし、このまま連合軍の飛行場まで、ひとっ飛びだ」

デヴィットの言葉に桃次郎は焦った。

「ちょっと待て、俺は日本人だ。それでは捕虜になってしまう。中立国に向かってくれ。スイスがいい」

「仕方ないな、あんた、命の恩人だからな」

デヴィットが機体を反転させようとした時、機銃の光弾が夜空に瞬いた。先程離陸したドイツ軍基地の方向から円盤機が3機、編隊飛行を組んで追ってくる。

「やばい。逃げろ」

「いや、逃げない、撃墜する」

デヴィットはME262の機体を円盤機の方へ向けた。バルカン砲を撃ち合いながら、すれ違う。デヴィットは、軽く機体を上下に揺らせただけで、すべての敵の弾道をかわした。

「スピットファイアじゃ勝てなったが、この機体ならっ!」

デヴィットには、円盤機の動きと、機銃掃射の弾道が、スローモーションで見え、無意識に把握出来ているようだった。なぜか、敵の次の動きも判るらしい。

「さすがだな、空の英雄」

この操縦テクニックには、桃次郎も舌を巻いた。まさに達人の技だった。

「俺は・・・俺は、誰にも負けん!」

興奮気味のデヴィットは、初めて操縦する筈のジェット戦闘機の機体を急降下させると、弧を描くように再び上昇し、3機の円盤機の後方にピタリとついた。

「ファイアアアアアア!」

ME262のバルカン砲が、夜空を切裂き、円盤機に吸い込まれていった。まだ試作段階の円盤機『ハウニブ1』の装甲は薄く、通常の機銃弾でもあっさりと火を噴いた。

「ナイス!」

ナチスの追撃機は撃墜したが、次に、また別のUFO1機が、さらに高空から襲いかかって来た。

『異物ヲ、排除シマス』

イエスイが、自分のタイムマシンを呼び寄せたのだった。

『待テ、異物ヲ分析シタイ。捕獲セヨ』

管理局本部からの指令だった。イエスイは従わざるを得ない。

『了解シマシタ』

UFOは、ピタリとME262の上に張り付き、下部から虹色の光線を出した。ME262全体が、七色の光に包まれる。

「今度は、何だ!」

桃次郎が悲鳴を上げる。デヴィットは不敵に笑っただけだった。

「何であろうと、この大空では、俺が王者だ!」

デヴィットは、あり得ない操縦テクニックで機体を背面飛行させると、急減速し、少し間を開け、ありったけのバルカン砲の弾をUFOの光源の噴射口に叩き込んだ。イエスイのタイムマシンは、内部から爆発し、ME262と、もつれ合いながら消滅した。

 

 1945年4月、久石隆政少将は九州南部の航空基地を視察していた。連合軍は、沖縄に上陸を開始しており、迎撃するために、ありったけの特攻機が集められていた。

(先月の東京大空襲で、東京は焼け野原になってしまった。幸い天皇陛下は、ご無事であられたが・・・)

隆政は、日本を脅かす米英人が憎くてたまらなかった。

(重隆の、白人絶滅ウイルスさえ間に合えば)

遠い満州の奉天にある生体実験施説で研究を続けている次男の事を思った。隆政は、ちょうど行われていた、今日出撃する予定の神風特攻隊の作戦会議に、横から口を出す。

「お前の目標は、ここだ」

隆政は、一人の少年兵に地図の一点を指差した。

「こ、これは、倉庫でありますか・・・せめて敵艦に体当たりさせて下さい」

「馬鹿もん!」

隆政の鉄拳が、少年兵の顔面に飛んだ。

「貴様、今までの飛行時間は何時間だ?答えてみろ」

「4時間程度であります」

「4時間だと。そんな技量で敵艦に体当たり出来ると思うのか。お前の目標は、倉庫で充分だ。厭なら便所に変えてやろうか」

「い、いえ、倉庫に体当たりさせて頂きます」

強制的に学校を中退し、学徒出陣してきたばかりの少年兵は、涙ながらに従った。

「いいか、特攻命令を無視すれば、お前は、非国民だ。そうなれば、お前だけでなく、お前の家族も、非国民を出した家系として、末代まで非難され続ける。その代わり、見事死ねば、英霊として靖国神社に祭ってやるぞ」

「は、はい・・・」

その日の午後、少年兵達は、ボロボロの練習機に乗って出撃していった。監視の偵察機さえ戻って来ない事が多いため、実際の戦果は判らない。

「敵空母1、巡洋艦2、輸送船6撃沈。地上部隊に多大な損害を与えた、くらいの戦果で報告しておけ」

隆政は、特攻基地の司令官にそう命じると、連絡機に乗って、次の基地へと視察に向かった。

 

 長野県、松代に本土決戦用の大本営が、建設されている。その近くに陸軍航空隊の基地があり、そこでは新型ジェット戦闘機『橘花』のテスト飛行が行われようとしていた。

「あれも、特攻させるのか」

視察に来た隆政が、開発責任者の技術士官に尋ねた。

「いえ、まだそこまでは・・・潜水艦がドイツから持ち帰った設計図を基に、見よう見真似で、作ってみたのですが、どうも判らない部分が多くて・・・どうにか、あり合わせの部品で完成はさせましたが、実際に飛ばすのは今日が初めてです」

滑走路に引き出された、『橘花』を隆政は、物珍しげに眺めた。ドイツで実戦投入されているメッサーシュミットME262の同型機で、鉤十字の代わりに日の丸がペイントされている。テストパイロットに選ばれたベテランの航空士官が引きつった顔で、操縦席に乗り込んだ。彼は、真珠湾攻撃以来、生き残っている数少ない熟練パイロットだった。

「エンジン調子よーし、発進!」

パイロットが、操縦桿を前に倒した瞬間、機体が爆発した。ジェットエンジンが粉々に吹っ飛び、当然、死亡である。

「消火班、急げ!」

慌てふためいた、基地の整備兵達が、火の海となった滑走路を走り回る。

「駄目だ、こりゃ」

爆風に煽られながら隆政は、冷たく笑いながら肩をすくめた。

 

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